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信仰の径、暮らしの径


九州の西、五島列島にある久賀島(ひさかじま)。 面積はこの列島3番目の大きさですが、島人は300名強ほど。 中央部には典型的な溺れ谷である久賀湾が入り込み、低湿地を活用した干拓地やかつての海進期には浅い海だったと思われる緩やかな傾斜の田畑が島の中央部に広がっています。その周りは島の外縁を構成する山々で囲まれています。島の真ん中を歩いていると、ここが島だとは思えない農村風景が広がります。

島の玄関口の集落(港)から、上の画像にある「大開(おおびらき)」までは集落や田園を抜ける田舎の舗装道ですが、ここから、旧教会と現役のがある海辺の五輪(ごりん)地区までは、山越えの自然道となります。

現在は九州自然歩道にもなっていますが、もとは九州電力の送電線と送電鉄塔の保守作業径。 五島の島々の電気は海底ケーブルで島々に送られています。久賀島の家々に明かりを灯すのは、 少し離れた上五島(中通島)の奈良尾~お隣りの福江島の奥浦を結ぶケーブルです。 …ですが、この山径のさらに「もともと」は、島の中央低地に暮らす人々が、海辺の五輪教会に通うために山を越える、暮らしの径・信仰の径でした。

この小さな浦(入江)に、五輪教会堂(現役も、旧教会も)は佇んでいます。

山中の径沿いには畑や小さな屋敷の跡と思われる石垣がぽつぽつと残っていました。 かつては人やモノの往来だけではなく、集落を通る普通の径でもあったのでしょう。 この久賀島だけではなく、 列島北部の野崎島の脊梁や山腹を南北に貫く山径も、各々の集落の人々が、自らの信じるものへの祈りを奉げるために通った径であり、通学や薪を集め等、日々の生活の中で往き来した暮らしの径でもありました。 時が移ろい世代を経て、使われなくなった径の存在は人々の記憶から薄れていくものですが、いつの時代も、径や道・路のあり様は、その時代に生きる人々の暮らしぶりや精神・文化を映し出す鏡だな、とあらためて感じた旅になりました。 Discover Walks 亀津


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